らんちさんの中の人のブログ

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わびさび

ラテン語の「perfectus」(完全)から来る「perfect」(完璧)という言葉は、欧米を中心に多くの社会で、不当なまでに持ち上げられてきた。
完全で誤りがないことを優先させる完全性という理想は、基準値として達成不可能だというだけでなく、そもそも間違っている。道教では、完璧なものにはそれ以上の成長や発展はできないため、完璧はすなわち死に相当すると考えられている。私たちは完璧なモノを作り、完璧な状態を維持しようと努力する。しかし、あまりに完璧を重視するためかえって、そのモノの本来の目的を否定し、結果的に変化と成長の喜びを失ってしまう。
もののはかなさを美しいと愛でる心は、抽象的に思えるかもしれないが、日本ではごくごく素朴な娯楽の中にもそれを見出すことができる。桜の花を愛でる毎年の花見は多くの場合、すでに散り始めた桜の花びらが舞う中で宴会やピクニック、船乗りやお祭りを楽しむ行事だ。そして、散った花びらが地面にでたらめに作った模様も、枝の上で咲く花びらと同じように美しいと考えられている。
散りゆく花びらなど、欧米なら写真を何枚か撮っておしまいだろう。しかし、この束の間の美を純粋に受け入れる姿勢は、感動的でさえある。メランコリックな、哀愁に彩られた美の愛で方だ。しかし、一瞬一瞬をありのままに楽しもうという姿勢が学び取れる。
私たちは、でこぼこや傷を抱えて生きている。どれも、それまで経験してきたことの痕跡だ。消してしまうのは、人生がいかに複雑かを無視するのに等しい。不完全なものは不完全なままに保ち、壊れたものは直し、「欠陥があっても美しい」のではなく欠陥の中にこそ美しさを見出すよう学ぶことで、自然災害を乗り越え続ける日本の力は強くなる。